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【星野の記憶】矢野燿大氏“無言トレード”で遺恨「見返したい」が「認められたい」に

スポニチアネックス - 1月13日(土) 10時0分

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(スポニチアネックス)

 ◇星野の記憶6~語り継がれる熱き魂~阪神・矢野燿大2軍監督
 自分の野球人生を大きく変えてくれたのが、97年オフの中日から阪神へのトレードだった。ただ、トレードが決まっても、当時は中日監督だった星野さんから掛けられた言葉は一切なし。そうしてもらえたからこそ「絶対に星野さんを見返す。中日戦だけには絶対、負けへん」と強く思うことができたと思う。だから、中日戦はたくさん死球をぶつけたし、逆にぶつけられた。でも、絶対に痛いそぶりは見せなかった。やっぱり、悔しいから。
 ようやく阪神でレギュラーをつかんだ時に、星野さんが阪神の監督に就任することが決まった。正直、嫌で嫌でしょうがなかった。その気まずさは、別れた彼女にばったり会う、なんてものじゃない(笑い)。「ああ、俺はまたトレードに出されてしまうのかな」と毎日が憂うつだった。
 でも、いざ、再会を果たしてみると、星野さんは一切、気まずいそぶりを見せることはなかった。それどころか「テル、アイツはどうなんや?」と選手のことを度々聞かれて。日がたつごとに自分の中から嫌な感情はなくなっていったし、いつしか「星野さんに認められたい。認められるために頑張る」という思いに変わっていった。今、振り返ってみると、星野さんには「一方的なトレードはしない。お互いにとってプラスになるから、トレードするんだ」という信念があったと思う。
 09年オフ、球団から大減俸を提示された時も、気がつけば星野さんに連絡を取っている自分がいた。竹園で対面し、思わず悔し涙を流した時に、星野さんは自分の肩に手をやりながら「テル、03年はよう頑張ってくれたな。おまえがいたから、俺はあんなに素晴らしい思いができた。感謝しとるぞ」と。その上で的確な助言をもらい、前向きな気持ちを取り戻すことができた。あの時の優しさと言ったら…。男がほれる男だった。
 ≪03年“恐怖の7番”≫矢野は03年にリーグ3位の打率・328をマーク。打順は主に下位の7番ながら、肩書付きの殊勲安打は21本で今岡、アリアス、金本の各22本に次ぐチーム4位。79打点はアリアス(107打点)に次ぐ2位で、金本の77打点を上回り勝負強さを印象付けた。セ・リーグMVP投票でも567点で2位となり、受賞した井川(571点)とはわずか4点差だった。
 ◆矢野 燿大(やの・あきひろ)1968年(昭43)12月6日、大阪市生まれの49歳。桜宮から東北福祉大を経て90年ドラフト2位で中日入り。97年オフにトレードで阪神へ移籍し、正捕手として2度のリーグVに貢献。08年北京五輪代表。10年限りで引退。通算1669試合、打率・274、112本塁打、570打点。16年から阪神1軍作戦兼バッテリーコーチを務め、18年から阪神2軍監督。右投げ右打ち。

 

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