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イラクの戦場取材「フィクサー」は大学生 戦争と地続きの青春

THE PAGE - 7月11日(水) 20時50分

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(THE PAGE)

 新聞や雑誌、テレビの報道番組で目にする紛争地域の写真や映像。それらはジャーナリストや写真家たちによって撮られたものがほとんどだが、危険と混乱を極める異国の地でなぜ撮影が可能なのか、疑問に思う読者もいるかもしれない。写真や映像につくクレジットは撮影者のものだけだが、それを可能にする裏側には決して欠くことのできない人々の存在がある。(フォトグラファー・鈴木雄介)

フィクサーと待ち合わせ

 シリアやイラクなど地球上で最も危ない地域とされる場所で取材を行うには近年、現地人の協力が欠かせない。取材対象地域の情勢やそこに住む人々を知り、常に最新の情報を手に入れ、警察や軍にネットワークを持ち、私たちのような外国メディアが安全に前線にたどり着いて取材できるようにアレンジしてくれる。彼らは「フィクサー」と呼ばれる。
 私は昨年、過激派組織「イスラム国」(IS)との戦いを取材するために、イラク北部のクルディスタンの首都エルビルという街に降り立った。目指すはイラク第2の都市モスルだ。当時ISがイラクにおける「首都」と呼んでいたモスルは、イラク軍・有志連合軍が共同で奪還作戦を行っていた。

 知り合いのジャーナリストたちの情報で、あるフィクサーとコンタクトを取り、カフェで落ち合うことになった。地獄のような暑さがまだ訪れる前の4月のイラク。砂糖のたっぷり入ったチャイを飲みながらテラスの席で待っていると、目の前に突然若い男がドカっと勢いよく腰を下ろした。男はジーンズにラフなTシャツ、アーミーブーツを履き、両腕に包帯を巻いていた。

抉られた両腕の傷跡

 短髪でヒゲを生やした精悍な顔つきの若者はマジッドと名乗った。お互いの自己紹介を手短に済ませると、私たちは早速本題に入った。今回、私が何を撮りたいのか。自分の目的を伝えると、彼は現地の詳細な戦況、取材可能な対象や地域を細かく説明し、何日かけて取材をするかスケジュールの目安を立てた。

 ウェイターのシリア人が水タバコを運んできた。レモンミント味の煙を吸いながら彼の両腕に巻かれた包帯について尋ねた。「CNNと一緒に前線を取材していた時に、迫撃砲が近くに落ちたんだ。咄嗟に両腕で頭を守って間一髪で助かった」。包帯を解いた彼の腕には、砲弾の破片で抉(えぐ)られた生々しい傷跡が残っていた。

命を預ける相手

 フィクサーは、取材時のドライバーとセキュリティーの役目も務めるのが一般的で、いわば現地での「相棒」だ。彼らを雇うには1日500ドルから2000ドルほどかかる。ただこれは取材する場所によって異なり、もっと高い金額を要求されるケースもある。私のようなフリーランスのフォトグラファーにとってはとてつもない大金だが、命を預ける相手なのでケチるわけにはいかない。ここを安く済まそうとして信用の低いフィクサーを雇い、大けがを負ったり、敵対勢力に身柄を売られてしまったりした報道関係者も少なくない。

 腕の良いフィクサーは、現場経験が豊富で、複数の言語に堪能であり、機転が利き、さまざまなネットワークを持つ。マジッドは英語、アラビア語、クルド語に堪能で、欧米の大手メディアと何度も仕事をしてきた。エルビルに滞在する欧米人ジャーナリストやフィクサーたちの間では誰もが知る存在だった。評判の良い信用のあるフィクサーというのは、それだけ多くのジャーナリストたちの取材を成功させ、無事に帰って来たことの証だ。

一瞬で兵士と打ち解ける

 いつも険しい表情で、絶え間なく鳴るスマートフォンで各所への対応に追われるマジッドだが、現場に出て、地元の住人や軍・警察関係者と接する時はいつも笑顔だった。それが彼のフィクサーとして成功したテクニックの一つなのだろう。

 モスルの町にたどり着くには、当時おそらく30以上の軍の検問所を突破する必要があった。数百メートル、数キロごとに完全武装のペシュメルガ(クルド人部隊)とイラク軍に止められ、身元を照会された。許可証を持っていなければジャーナリストだろうがなんだろうが、問答無用で追い返される。しかしマジッドが笑顔で運転席から兵士たちに挨拶をすると、彼らは緊張を解いて笑顔になり、友達同士のように和やかに会話を始める。検問所の兵士たちとタバコを交換し合ったり、時には紅茶をご馳走になったりすることもあった。

 助手席に日本人が座っていると分かると、兵士たちは興味津々に話しかけてきた。「お前はジャッキー・チェンか?」。みんなしてカンフーのポーズを取ってくることもあった。そのうちに、毎日同じ道をほぼ顔パス状態で通過すると顔を覚えてくれて、笑顔で挨拶する仲になった。彼が軍や警察関係者からも信頼を得ているのが分かる瞬間だった。軍や警察の中でも存在が知られているのは、何かあった時に命に関わるのでありがたい。

砲弾の中の奇妙なランチ

 激しい市街戦が続いていたモスルでは、ISのスナイパーと迫撃砲の応酬が恐ろしかったのを覚えている。たった数百メートル先のIS陣地からスナイパーに狙われながら大通りを幾度もマジッドと一緒に全力疾走した。ライフルの乾いた発砲音が、破壊され尽くした瓦礫の街に響き渡る。「その音が聞こえるという事は、弾は自分に当たっていないから大丈夫だ」。そう言い聞かせながらマジッドの後ろを次の遮蔽物めがけて走る。

 迫撃砲が空気を切り裂いて飛んでくる音が聞こえた瞬間、彼に体を強く引っ張られ、物陰に押し込められた。直後に砲弾の炸裂音が響いた。重さ15キロ近くもある鉄板の入った防弾ベストもヘルメットも、ただの気休めに過ぎない。弾の当たりどころが悪かったり、近くに迫撃砲が落ちたりすれば、破片で体を切り裂かれて死ぬ。

 マジッドとモスルの前線を取材した数日後、全く同じ場所で別のフィクサーが撃たれて大けがを負った。フォトグラファーを前線に連れていくということは、彼ら自身も同じく命を危険に晒すということなのだ。後日、スナイパーの弾が届かない路地裏に座り込んで、マジッドと一緒にイラク軍からもらった昼ご飯を口に放り込んだ。ISが飛ばすドローンが空中を行き交い、迫撃砲が着弾する。凄まじい撃ち合いの音が聞こえる前線での奇妙なランチタイムだった。

戦場に行く前にテスト勉強

 ある時、珍しくマジッドが別の若い運転手を連れてきた。連日モスルに片道2時間以上もかけて通っていたから、さすがに疲れが溜まったのだろうか? 「大丈夫か?」と聞くと「大学のテストがあるんだ」と彼は返した。何やらゴソゴソとプリントを取り出し、揺れる車内でマジッドは勉強し始めた。

 初めてカフェで会った時、彼は20代後半に見えた。周りのフィクサーたちが彼にいろいろと相談してくる姿を見て、職業としてフィクサーをフルタイムでやっているのだろうと思っていた。しかし彼はなんと大学に通っていて、まだ20代前半だった。なんとシュールな光景なのだろうか。私たちは数時間後にはヘルメットを被って、砲弾が飛び交う戦場を駆け回る羽目になる。世界中のメディアが注目している危険な現場を取材しに行く車内で、彼はそんな事は全く関係ないとでも言うように、大学のテスト勉強をしていた。

 何が起ころうとも、世界の終わりかのような光景を目にしても、日常生活は続いていくのだろう。モスルの友達の家に行けばご飯を食べ、一緒に水タバコを吸う。戦争中でも、紛争の最前線で命を危険に晒していても、何でもない普通の光景も存在するのだ。

14歳から部隊に入り兵士に

 マジッドは20年と少ししか生きていないのに、何故こんなにもフィクサーとして経験も、仲間からの人望もあり、冷静なのだろう。その落ち着き払った、時にこの世の全てをすでに見てきたかのような姿は、彼に対する興味を深めた。

 マジッドはシリア生まれのクルド人で、14歳の時にはクルド人民防衛部隊(YPG)というクルド人の部隊に入ってライフルを握っていた。自分が生まれ育った国が戦乱に巻き込まれ、今まで6回もISに拘束されたという。ある時、道を誤ってISの支配地域で拘束された時などは、200万円を払って釈放された。YPGを脱退するとその場所には戻れない掟があるらしく、もう何年もシリアに住む両親には会っていないと言った。

 マジッドにはララという名の恋人がいて、彼女もシリア生まれのクルド人だった。そして彼女もかつてYPJという女性だけで構成されるクルド人部隊に所属し、前線で勇敢に戦っていた。ララも今はフィクサーとしてアメリカの大手メディアのために働いていた。

ビールに垣間見える闇

 前線から帰ってくると、私たちはレストランに晩ご飯を食べに行き、ララも交えて一緒にお酒を飲むこともあった。お互い今日はどこに行き、どんな仕事をしたのか、そんな話をした。

 一見、世界中のどこにでもある恋人同士の光景だが、彼らの仕事場は人が撃ち合い、砲弾が飛び交う場所だ。人が死に、泣き叫ぶ無数の声。頭にこびり付いて、忘れたくても夢に出てくる恐ろしい光景を何度も見てきた事だろう。混乱と恐怖と怒りと悲しみが混ざり合った異常な世界で、二人は長い間、その役割をこなしてきた。

 マジッドはビールとウオッカが好きで、冷えたビールをグイっと煽っては「これが人生だね」と笑った。しかし時折、何かに思いを寄せるような表情でじっと黙り込むことがあった。

 「俺は精神に問題がある。戦場に出過ぎた」。フィクサーとして綱渡りの日々を繰り返し、血気盛んな外国人ジャーナリストたちと働くのは想像もつかないくらいにハードだろう。取材がうまく進むように、夜遅くまで警察や軍とやりとりし、時には「ギフト」という名の賄賂を掴ませる。私と働く前には前線で迫撃砲の破片にやられて腕にけがも負っている。いくら仕事と割り切っても神経のすり減る毎日だ。いつ死んでもおかしくない。戦場の恐怖とストレスから逃げるように酒をあおる彼の姿に私は不安を覚えた。

 一緒に前線に出ている時、必要以上に銃声や爆発音に敏感になっている場面を見て、マジッドは心的外傷後ストレス障害(PTSD)を抱えているのだろうと思った。少年の時からライフルを持って戦い、恋人も元兵士で、今ではお互いがフィクサーとして戦場に戻っている。彼の青春時代の体験と記憶はすべて戦争の中にある。

マジッドが思い描く夢

 戦争による負のループから抜け出そうとして、彼はどんなに大変でも大学に通っているのだろう。取材から帰ってきて、そのまま夕方から大学に行くこともあった。一体いつ寝ているのか心配になるくらいだった。

 「将来は映画監督かジャーナリストになりたい」とマジッドが言った。その志の通り、前線に行く時は彼もNikonのカメラを肩からぶら下げ、時にはインスタグラムやフェイスブックを通してリアルタイムに前線からライブ中継をするのだった。

 たまたまクルド人としてシリアに生まれ、その結果、戦争の中を生きる運命になったマジッド。頭が切れ、人柄も明るく、生まれる国が違えば優秀なビジネスマンか起業家にでもなっていただろう。人は生まれる時代や国、民族を選べない。どの世界に生まれ落ちるか、その瞬間においてすでに、人生の難しさが変わってくる。公平や平等などあり得ないという現実を、さまざまな国で私は目にしてきた。変える事のできない、自分が置かれた環境の中でも夢を見つけて、どう生きるのか。若いマジッドを見て、自分の生き様を省みた。

きょうも戦場の最前線

 昨年4月から5月にかけてモスルを訪れた後、私は再び7月にもモスルを訪れた。その時、ジャーナリストとフィクサーたちの溜まり場になっているカフェで、いつも見る馴染みの顔がいないことに気づいた。ロカンという名前の女の子で、いつもマジッドたちと一緒にいる仲良しのフィクサーだった。

 彼女はどうしたのかと聞いてみた。「ああ、彼女は難民申請が上手く通ってオーストラリアに引っ越したよ」。シリア人のカフェ店員が言った。彼らは、このカフェの店員も含めて、ほとんど皆が泥沼の戦争になってしまったシリアから逃れてきた難民だったのだ。生きるための手段として、それぞれが自分のできる仕事を選んでいるだけなのだ。

 フィクサーもその一つに過ぎない。この地域がやがて落ち着き、雇い主であるメディアが去れば、彼らは失業することになる。その時、彼らはどうするのだろうか? 祖国に帰ることができるのだろうか? 賢い彼らはちゃんと先を見据えていて、中には次のビジネスを考えている者もいる。

 私は今でもマジッドとフェイスブック上で繋がり、彼が日々フィクサーとして活動していることを見ることができる。日々目にする最前線の現場から送られる写真や映像たち。その裏には、その撮影者たちとともに命をかけている現地の人間たちがいるのだ。

 彼らなしには外国のメディアが取材をすることは不可能である。外国人に加担していると見られ、誘拐されて殺されることや、戦闘の現場で死ぬこともある。取材中の事故で亡くなった時以外、彼らの名前が表に出ることは決してないが、フィクサーこそが、紛争の現場で何が起こっているのかを伝えるのに最も重要な影の立役者なのだと思う。
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■鈴木雄介(すずき・ゆうすけ) フォトグラファー。1984年千葉県生まれ。音楽学校在学中に好奇心からアフガニスタンを訪れ、そこで出会ったジャーナリストに影響を受けて写真を始める。2010年に渡米し、ボストンの写真学校在学中より受賞多数、卒業後はニューヨークを拠点にフリーランスとして活動中。伝えられるべきストーリーや出来事の中に潜む人々 の感情を、写真という動かないメディアに焼き付け、人に伝えるのを目標としている

 

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