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芭蕉が「昔より、賢き人の富めるは稀なり」と詠んだ紅花商人 鈴木清風(上)

THE PAGE - 8月11日(金) 15時40分

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(THE PAGE)

 紅花は山形県の県花であり、特産品として知られています。花は古くから口紅の材料や染料、生薬に用いられ、種子は絞って食用油に加工されています。

 江戸時代、山形県尾花沢の豪商・鈴木清風は、この紅花の取引で巨万の富を築き上げ、のちには金融業も手を広げていきます。江戸・吉原での豪遊も伝説となり、今に語り継がれています。また、意外にも俳人・松尾芭蕉とも交流があり、鈴木の人となりを詠んだ句も存在しています。鈴木はどのようにして、特産品でもうけを築き上げていったのでしょうか? その手法と芭蕉との交流について、市場経済研究所の鍋島高明さんが解説します。

松尾芭蕉とゆかりのあった鈴木清風という紅花商人

 松尾芭蕉が「奥の細道」の旅で山形県尾花沢に入ったのは元禄2年(1689)5月17日のことだった。ちょうど当地の特産紅花が咲き始める季節である。ここでは鈴木清風との再会を楽しみにしていた。清風は富商でありながら志の高い人物として知られていた。

 清風は一代で巨利を博したのではない。先祖代々にわたり積み上げてきた富をさらに大きく膨らませたもので、赤貧から抜け出した立志伝中の人物ではない。専門家はこう言っている。

 「鈴木家が延沢銀山のこの繁昌ぶりに着目し、鉱山都市の住民や城下町延沢の人々を対象として生活必需品の調達、生活資金や営業資金の高利貸しなどを行って財産を貯蓄したのではないか」

 延沢銀山が最盛期のころは山に働く人々が2万〜3万人に達していたといわれるが、それは清風の祖父や父の時代までで、清風が生まれるころはほとんど廃鉱になっていたという。

 紅花は染料や化粧品の原料として需要は無限であった。もとはエジプトや東南アジアの原産で菊科の植物だが、早くから日本に根付き、「万葉集」や「源氏物語」で「くれない」とか「末摘花」などと詠まれているのは、この紅花のことである。最上川の朝霧で育った紅花を京、大坂へ運んでもうけを膨らました。

 清風ら紅花商人は京、大坂に紅花を運び、帰路には塩や砂糖、綿花などを持ち帰れば、往復でもうけた。この往復でもうけるやり方を人々は「のこぎり商法」と呼んだ。清風は押してもうけ、引いてもうけの「のこぎり商法」の代表格であった。
 「紅花を栽培することは、米や豆を作るよりもはるかに有利であった。元禄年間には350駄(駄は馬または牛一頭に背負わせるだけの量)ぐらいしか出荷しなかった紅花はそれから100年後の寛政年間には1400-1500駄も出荷するようになった。その代金は1駄(30貫目、120キロ)は80両前後であったから少なくとも10万両ほどの大金が山形地方に流れたことになる」(後藤嘉一著『やまがた経済風土雑記』)

 また山形大学の岩田浩太郎教授もこう述べている。

 「紅花は一反歩で稲作三反歩に匹敵する高収益作物でしたから栽培が広がりました。村山産の『最上紅花』は全国ブランドとなり、18世紀末には全国シェアの半分を占めました」

 清風は京都で紅花を売って莫大な利益を上げると同時に江戸でも豪快にもうけた。江戸での清風伝説で欠かせないのが、吉原を買い占めた一件。

 樋口一葉の名作「たけくらべ」の冒頭に「廻れば
 

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