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IS支配はまだ終わらない? モスルに残る3年間の傷痕

THE PAGE - 9月12日(火) 20時45分

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(THE PAGE)

 イラク首相がモスルの解放宣言を7月10日に出して2か月が過ぎた。9か月に及ぶ戦いの後、過激派組織「イスラム国」(IS)のイラクにおける最大拠点は取り戻されたが、人口が200万人近かった街の70万人が難民と化し、死者は4万人 にも及んでいる。解放から2週間がたった7月後半、私は3か月ぶりにモスルを訪れた。(フォトグラファー・鈴木雄介)

廃墟と化した旧市街

 ISが最後まで立てこもり、戦闘を続けたモスル西部の旧市街地。ISのリーダー、アル・バグダディが珍しく公の場に姿を現し、「カリフ制」復活を宣言したアル・ヌーリモスクもここにある。イラク警察の車両に続いて街に入ると、その破壊の凄まじさに驚愕した。まるで津波に襲われたかのようなありさまだ。

 銃弾で穴だらけの焼け焦げた車がひっくり返り、鉄筋石造りの家が粉々に崩れ、足元を瓦礫が埋め尽くす。かろうじて立っている家の外壁には無数の弾痕。いったいどれだけの銃弾や砲弾、ミサイルがこの地域に降り注いだのだろう。

 話を聞いた警察部隊の隊員は「夜になって辺りが静かになると、瓦礫の下から声が聞こえてくることがあるんだ。恐ろしいよ」と言った。欧米メディアが「第二次世界大戦以来、最悪の市街戦」と表現したモスルの戦い。その壮絶さに圧倒されるばかりだった。

壊滅した街、批判恐れる政府

 戦いが激しかった旧市街地中心部では全ての住民が追い出され、警察部隊とイラク軍兵士以外の姿は見えなかった。その地域から少し離れたところで瓦礫の間を縫って歩く住民を見つけた。自転車を押して歩く少年とその父親だろうか。話を聞こうと彼らに近づいた。すると、遠くから見ていた警察部隊の兵士が大きく手を振ってジェスチャーしながら叫んだ。

「住人に話しかけるな」

 ガイドになぜだ? と聞くと、モスルの住人にはいまだにISを支持する住民も多く、簡単に人を信用するなとのことだった。それにしても住民に話を聞くくらいいいだろう。

 旧市街地に入る際のチェックポイントもとても厳しく、許可を取っていたにもかかわらず、足止めされた。旧市街に戻ろうとする老夫婦に対して威嚇射撃をして追い返す場面も目にした。

 腑に落ちず不振に思っていると、パトロールから戻ってきたある警察部隊の一人は拙い英語で私にこう言った。「中央政府はこの破壊の状況を見せたくないのさ。600人程度のISを殲滅(せんめつ)するために旧市街地が跡形もなくなってしまった。その状況をみんなが知ったら、当然イラク政府に批判がいくだろ?それを恐れているのさ」。

変わり果てたアル・ヌーリモスク

 モスル西部からチグリス川に向かって東に進むと、ついにそのモスクが姿を現した。

 一般的にモスクといえば、カラフルなタイル装飾で仕上げられた美しいイスラム建築で、ミナレット(塔)が空高く伸びている。しかし、いま目の前にあるモスル市民の自慢だったモスクは変わり果てた姿を晒していた。バラバラに吹き飛んだ大きな石の瓦礫がうず高く積もり、行く手をふさいでいる。辛うじて残った屋根のドーム状の部分には英語で「Fuck ISIS 」と書かれている。モスクの隣に立っていた有名なミナレットも跡形もなく崩れ落ちていた。

 この街の象徴であり、市民の心の拠り所だった場所はイスラムを名乗るISによって破壊された。モスルを占拠した後の半年ほどは銀行も機能し、給料も支払われ、公共サービスもうまく機能していたという。ISは彼らの主張する理想を実現しようと努力しているように見え、その姿勢を住民たちも信じた。

 しかしそれらのシステムも徐々に機能しなくなり、暴力的で行き過ぎた彼らのやり方がエスカレートしていったと住民は話す。そして、モスル奪還作戦が始まって追い詰められると、象徴である神聖なモスクを自ら爆破した。これでは彼らの掲げる大義も正当性も、今となってはただの虚構でしかない。

 ISの残党狩りが行われているのだろうか。遠くから聞こえてくる銃撃戦の音を聞きながら、私は虚しくモスクの残骸を見上げた。

残された地雷と仕掛け爆弾

 モスルでは表面上、大きな戦闘は終わった。しかし、ISは旧市街地に厄介な物をたくさん残していった。地雷や仕掛け爆弾である。どんな戦争でも、後々まで残る大きな問題がこれである。

 7月の初めには、旧市街地を取材していたフランス人のクルーが地雷で吹き飛ばされる事故があった。これだけ街自体が瓦礫(がれき)と化してしまえば、どこに地雷が埋まり、爆弾が仕掛けられているか、その捜索作業だけでも膨大な時間がかかるだろう。警察部隊に同行し、捜索の様子を見学したが、長い木の棒を持って怪しそうなところをツンツンと突ついたりと危なっかしい。本当にそれで発見できるのだろうかと不安になる。

 彼らは最低でも15日間は撤去作業にかかるだろうと言ったが、この破壊状況を見て、とても2週間足らずで全てを片付けられるとは到底思えない。一体、旧市街地に市民が戻ってこられるようになるのはいつになるのだろうか。

“ISの未亡人”迫害を恐れ

 モスル郊外のアル・サラミーヤ難民キャンプで、レイラという名の母とその子どもたちに会った。このキャンプは、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によって今年5月後半に建てられた。モスル奪還作戦による戦闘が激しくなるにつれ、街を離れる住民が急増したためだ。話を聞くと夫はISに参加し、モスルに残ったという。旧市街地にイラク陸軍が迫った時、夫家族に街から脱出せよと告げた。しかし自分は残って戦うことを決意した。

 それ以来、2か月以上も連絡が取れておらず、生きているか死んでいるかも分からない。レイラは涙を流して訴える。「もしかしたら街を脱出しているかもしれない。今はただ夫に戻って来てほしい」。幼い子供4人を抱えた彼女に収入源はない。家も夫も失った彼女と子供たちはこの先どう生きていくのだろうか。

 イラク各地では、家族や親族にISメンバーがいた者に対する行動がエスカートしている。家が放火される。村や難民キャンプを追われる。殺害予告を受ける。ちゃんとした調査もなしに、ISと関わりがあるといううわさだけでされ、170組以上の家族が「ISキャンプ」と名付けられた劣悪な環境のキャンプに送られたこともあった。日中の気温が50度を超える暑さの中、弱った子供や女性がキャンプで亡くなったという。

 彼女は、夫の素性を隠したまま、周りから迫害されることを恐れながら、この先生きていかなければならないのだろう。

キリスト教徒の街

 モスルから南東30キロほどのところに、ハムダニヤというクリスチャンの街がある。この街もISとその奪還作戦による戦禍に巻き込まれた。この街はクルド人自治区にも近い。

 街の入り口には25メートルはあろうかという大きな十字架が建てられ、あちこちに教会がある。キリスト教徒なのでお酒を飲むことができ、街には酒屋もある。そして女性は顔を覆う必要もない。イスラム教の国イラクで、初めてこの街を見て驚いたのを覚えている。

 そして当然、この街はISに目をつけられたのである。ISがこの街に迫ったとき、クルド人部隊のペシュメルガが街の防衛にあたっていたが十分な武器がなく、やむなく後退することになった。住人たちは「ペシュメルガはずっとこの街にいて、自分たちを守ってくれる」と信じていたので絶望したという。自分たちを守る手段を持たない住人たちに為す術はなく、街はISの手に落ちた。多くの家に火が放たれ、街はゴーストタウンになった。

破壊された教会

 街にある教会もことごとく破壊され、焼き払われた。アフマドという若者に街の中で出会い、案内してもらった。大通りに面する教会の尖塔は爆破されたのか無残にもへし折れ、大きな鐘が地面に転がっていた。内部も火が放たれたらしく、天井まで煤(すす)で真っ黒だった。キリスト彫像の破片が地面に転がり、もぬけの殻になった教会は在りし日の姿の欠片もない。

 アフマドが瓦礫の中からアラビア語で書かれた聖書を拾い上げパラパラとページをめくる。「神がお前を守ってくれる。一つお前も持っていけ」と聖書を手渡された。

 キリスト教もイスラム教も、信仰するそもそもの神は一緒なはずだ。ISは教会を破壊し、ついには自分たちの手でモスクまで破壊した。いったい人間にとって宗教とは何なのだろう。神とはどんな存在なのだろう。さまざま国で、異なる厳しい環境に暮らす人々を見てきた。そうした環境に置かれた人々ほど、心のより所や、無情で不公平な世の中を受け入れる為の理由が必要なのだろう。そういう国ほど、信仰が厚かったように思う。

 「毎週日曜日には500人くらいがここに集まって礼拝をしていたんだ」とアフマド。破壊された聖壇を前に、胸の前で十字を切った。

街に戻ってきた住人

 アフマドが、自宅に私を招待してくれた。母親が飲み物と水々しいスイカを持ってきてくれた。一家はISが街に迫ってきた時に街から避難したが、つい10日ほど前に戻ってきたという。

 祖父の代から引き継ぐ農地で放牧をして生計を立てていた彼らは、これからまた生活を立て直すと言った。アフマドは家業を手伝うかたわら、今は街を防衛するキリスト教民兵の部隊に加わっている。ペシュメルガの姿は見えない。この街の住民は自分たちで街を守ることを決意した。「ISが来る前は本当に平和な町だったんだ。キリスト教徒もイスラム教徒も仲良く暮らしていたよ。今は誰もいなくなってしまった。でも、一日に数家族ずつだけど、街に戻ってきているんだ」。そう話す一家の顔には笑顔が浮かんでいた。

生徒と先生が戻ってきた女子校

 一部では学校も再開し始めた。ハムダニヤを離れ、モスル東部の女子校を訪れると生徒達がテストを受けている真っ最中だった。一生懸命、机に向かってペンを走らせている。邪魔をしないよう外で待っている間に保護者たちと話をすると、政府に対する不満を口々に漏らし始めた。

「私たちはイラク政府を信用していない。政府は復興について多くの約束をしたが何一つ実現されていない。水や電気すらないんだ。 モスル市民をIS支持者だと見なしていて報復をしている。テロリスト扱いされて、首都のバグダッドにも入れなかった。まるで動物のような扱いだよ」

 テストを終えた女子生徒たちが、元気いっぱいにお喋りしながら学校の門をくぐって外に出てきた。 「教科書がないから携帯電話のカメラで撮影したページを見て勉強しているのよ」と画像を次々と見せてくれた。ある生徒は「モスルの状況を見て。私たちには希望なんかないわ」と言い捨てた。

 しかし、教材も不足し、教師の給料も支払われない状況にも関わらず、この学校には先生と生徒たちが戻ってきたのだ。生徒たちは友達に久しぶりに会えたのか顔は皆明るい。ISによって失った物は大きいが、これから徐々にそれを取り戻していくのだろう。

「新郎と新婦」モスルで再出発

 支配が終わって人生の新しいスタートを切った人々もいる。元軍人だったマフムードは、40歳を過ぎて、2年越しにモスルで結婚式を挙げる事になった。

 退役後、地元に帰って商売をしていた彼は、ISがモスルを掌握した時に捕まり、刑務所に入れられることとなった。ISが開いた法廷では、携帯電話の中にイラク軍を讃える歌が入っていたというだけで死刑宣告を受けた。頭にライフルを突きつけられ 死を覚悟したが、引き金を引いても何も起こらない。弾倉は空だった。恐怖で支配するために、ISは何度も彼を処刑するふりをしたという。

 警察と軍によって街が解放され、ようやく教師をしている新婦のイクラスと再会した。マフムードは黒の綺麗なスーツに身を包み、二人で住む家を綺麗に飾り付けた。妻のために用意したベッドルームを私に見せる彼の顔は、元軍人とは思えないほど優しく幸せに満ちていた。

 イクラスが待つ家に向かう彼に同行した。真新しいスーツ姿のマフムードと、彼の背後にある崩壊した建物のコントラストが強烈で、頭が目の前の光景を理解できなくなる。新婦のイクラスは純白のドレスに身を包みマフムードを迎えた。お互いの姿を見た二人は自然と笑みがこぼれる。周りの親族たちは伝統的なダンスと口笛で二人を祝福した。ここがついこの間まで激しい戦闘が行われていた街とは思えない暖かい光景だった。

 しかし、外では防弾チョッキを着けた男が緊張した面持ちで辺りを警戒していた。ISから解放されたと言っても、地元住民の中に彼らを支持するものも少なくない。地元住民ですら疑心暗鬼でお互いを信じることが難しくなった。地元民も「ここらの人間は誰も信用するな。目立たないように行動してなるべく早く撮影を終わらせるんだ」と忠告してきた。

 4万人の死者を出し、70万人の難民を生み出したモスルの戦い。ISによる支配は終わったかのように見えたが、彼らが恐怖で支配した3年間の傷痕はあまりにも大きかった。
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■鈴木雄介(すずき・ゆうすけ) フォトグラファー。1984年千葉県生まれ。音楽学校在学中に好奇心からアフガニスタンを訪れ、そこで出会ったジャーナリストに影響を受けて写真を始める。2010年に渡米し、ボストンの写真学校在学中より受賞多数、卒業後はニューヨークを拠点にフリーランスとして活動中。伝えられるべきストーリーや出来事の中に潜む人々 の感情を、写真という動かないメディアに焼き付け、人に伝えるのを目標としている

 

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